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ひとのこころ

いたわりのこころが、なんとも煩わしいというのだ。

わかる気がする。

素直さが大事だと、子供たちには口を酸っぱくしていう。でも、ほんとうは素直になれないことがしょっちゅうあることをよく知っている。私も同じだからだ。

こころの中に土足で入り込まれてしまう・・・。そんな状況はだれも好まない。我慢強いあなたなら何もないようにふるまえるかもしれないが・・・、むしゃくしゃしているときは・・・、なんとも歯がゆい限りで、ありがた迷惑とはこのことだなんて思ってしまうのだ。

だから、何か他者のためにやろうと想うと足踏みするのだ。こんなことでいいのだろうか。ぎゃくに迷惑ではないのか・・・。そう想うのだ。

だから、どうしたらいいのかと時々考える。

気にしないでいる時は、なんともなしに想いやりに似たようなことをやっていることもある。ただあとで考えると、どうも気分を害させてしまったかと・・・いうような節も見つけてしまうのだ。

だから、自分にできることをやることにした。

いちいち気にしないでいいことをやることにした。

もし、被災地でのボランティア活動のチャンスがあれば、黙々とがれきの片づけをしよう・・・。そう想う。精神的には、いろいろあるから・・・。ちゃんとした知識を身につけないと逆効果だから・・・。

好意から道路わきの清掃をしていたひとたちがいた。でも、別々のひとのようだ。ひとりがもうひとりのテリトリーとしているところの掃除にはいろうとしたそのとき、もうひとりがいったのだ。

勝手なことはしないでくれ・・・。俺がやっているのに・・・。

そんなことだったと想う。私は通行人だったから、ほんの一瞬に出会っただけなのだが、なかなかボランティアという行為は難しい・・・のだなぁーと思ったことがある。

事態は、今は違うだろう。けれども、ひとのこころはあまり変わりはしないのだ。だれのこころにも勝手に押し付けるとか、土足で入っていくのは厳禁であり、そこには本当のニーズに沿った支援としての需給関係があるはずだ。

たしかに助けてとは言えない空気が、今までの日本にはあった。

がまんしないで頼れるときはそうする・・・。そんなおもいきりが必要なのだ。

でも、支援する側は細やかな心遣いをしなければボランティアとしての基本的な配慮がないといわれてしまうだろう。

ボランティア事業も正式な復興事業もすべてひとつひとつの復興、復旧のためのプロジェクトである。だから、そこにはだれのためにやるのか、なんのためにやるのかという基本的な考え方が必要だ。

それは、すべてが被災地の人たちのためであり、全国にいる日本国民のためなのだ。ひとがどんなときでも主役なのであり、より困難に遭遇しているひとたちの現状改善が優先的に処理されなければならない。

そして、いつも人間性を尊重して自分たちの行動への判断基準にしていかなければならないのだ・・・。

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