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批難が自由な国

だれの悪口でも、どんな愚痴でもいっていいのだ。

国の総理をバカだといってもいいし、礼儀知らずだといってもいい。

悪たれをついてもいい。

でも、そこに暴力が加わると話は違うのだ。

そして、公と私を明確に区別することが基本だ。

日本は批判や批難はおのれの主張にしたがって行える国なのだ。

それでもまだまだ民主国家と言えるかどうか、ときどき疑わしいときがある。

感情論が多すぎるのだ。

論理的でない。

いたずらに会議で議論をしたふりをする。資料がいっぱいの会議で、みんな議論ではなく、資料を下向いて読んでいるだけの会議で、気付いたら司会者の説明が終わり、議論もなく、次回は来週ということだった。

そんな議論はあり得ないのだが、どうにもならない。

批難は自由というのは間違いないが、どうもその中身が充実しているわけではない。いまだに好き嫌いで物事が判断されているのだ。

今のテーマは、震災復興であり、その財源をどうするか。

震災がもし人災であったなら、自然災害ではなく、敵国の侵攻であったなら、どうする。

津波ではなく、原発への攻撃だったら、どうする。

やはり、想定外だということしかできないようだ。

問題の批判はできるが、問題の解決にはまだまだ遠い道のりがある。要は、教育の仕組みということだろうか。

二流国でも三流国でもいいのだが、やはり国力は国民の常識という判断力に比例するのだ。中身のない、一流国なんていうのは、絵に描いた餅でしかない。

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