それぞれの意義
子供が握りしめてきた10円玉。
大企業の会長がぽんと出す100万ドルの束が100個で100億円だ。
人気プロスポーツ選手が出す100万ドルの1束。半分の束。
芸能人がとてもたまらずに行動する募金活動による寄付金。
多くのメディアによる災害募金活動。復興基金への呼びかけ。
寄付なれしていない地域住民は自治体での寄付をしている。
みんなは一人のために、日本は被災地域の住民のために、そして世界も同じだ。
言葉はちがっても、その想いは同じだ。
金額は10円玉でも多くの莫大な金額でもそこにある気持ちは同じだ。
この世の中で大切なものをみんながよく知っているのだ。
事業者は自分以外のひとたちがすべてお客様だとしっているのだ。
そして、子供のころ握りしめて寄付したその気持ちが、大きくなって社会の仕組みをすべて理解し、その社会のために自分たちの組織ができることをしっかりと役立てているのだ。
世界のまずしいと言われる国々からも義捐金がいっぱい集まっているというのだ。
お金のない国々から、支援をしてもらうことが、どんなに被災地での復興の力になるのか、そこには計り知れないものがある。
そこにそれぞれの意義がある。
こころの中は同じだ・・・。そう想いださせてくれるだけで、とてもうれしいのだ。
持っているものは違うかもしれないが、ありがとうといいたい気持ちはみんな同じなのだ。みんな同じだ・・・という想いを確信することで、そこにちからがわいてくるのだ。
でももっと何かしていかなくてはいけない・・・。大人として、何かできることはないだろうか。この世の中のことについて、みんなで考える下地をつくることだろうか。
この社会のシステムや仕組みについて考えていくことだろうか。
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