政界と芸能界
同じ釜の飯を食った仲間。
政界と芸能界にはそんな関係がある。
たしかに芸能人はタレントと呼ばれて、その才能は多岐にわたる人材がひしめき合っているように思われる。この傾向は米国の大統領で検証済みである。
政治家は大衆心理に明るく、伊達直人とかスーパーマンとか正義のヒーローの品格をもっていることが必要のようだ。
家柄を自ら叫ぶ政治家が多い中で、遺伝子とか家系というものは、旧家の財産や経済力という点では鳩山家の例外はあるものの、それも今後ずっと長きにわたり政界に影響を与えるものではないだろう。
お金は世間の回り者というように、新しい経済の担い手たちは豊富な財を手にしている。ただ政治家はそこに本人の意思がないといけないし、子供のころからの志も大切なのだ。それが正義のこころというものの下地になるのだと言えそうだ。
また、いい師に巡り合うことが、どんな職業でもそうだが大成するための条件であろうか。なかなか一人で勝手にやるとどこかで私的な利益誘導に陥る危険性がある。政治には金がいる。そうのたまう人たちが派閥を維持し影響力を誇示するために集金する。その原資は権力である。
だが、今、その構図が庶民から否定されている。
政権与党の党首と幹事長がそろって辞任したのは、追求を逃れるための36計に通じているからであったのだろうが、その場をごまかすという戦術だったのだろうか。
そんなことは国民はだれもわすれてはいない。よく覚えている。政治家はわすれたころに動きだすというかどうかは知らないが、その心中はまったく変化なければ、そこで庶民に受け入れられることはない・・・だろうに・・・。
その証拠は、減税ニッポンというグループが、わすれさせようとしたのか、残り火を踏んで媚びている様子が、庶民にはなんとも哀れに見えた。信用できない政令都市の首長だな・・・と一気にイメージが地球を何十周もしたかのように、そのTVの映像は駆け巡ったのだ。
ご本人たちは勝利に美酒をいただいた気持ちで悦に入って、残り火を踏んでいることにきずかなかったようだ。
踏みとどまった、大阪付近の知事さんとの違いがおおきく、そこで現れてきたようだと、私は考えているのだが・・・。どうだろうか・・・・。見当はずれだろうか。
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