生まれたら死ぬという真実
機械は壊れる。ひとも生き物も死んだり壊れる。
ひとの中のこころも死ぬし、壊れるのだ。
だから、そういうものを扱うには慎重な配慮が不可欠だ。
自分という存在が、とても扱いにくいそのものである。なぜならば、自分とはすべてが素っ裸のまま伝わるからだにあるからだ。同じものが、ちがう角度で見ているだけなのだ。
だから、嘘をつくにはかなりの高等技術がいる。おのれをごまかすには、長い経験がいる。どっかでボタンを掛け違えて、おかしくなるのもそういう時だ。
生まれたら死ぬという真実がそこにある。
そうではないと、おのれに嘘をつく・・・。俺は絶対に死なないと暗示をかける。でも、それは叶わぬことだ。
でも、そこでもうひと頑張りだ。信じきるまで・・・、俺は死なないと信じきるまで押し通すことができるならば、そうなるかもしれない・・・。
いや、ちょっと待て・・・。お前はどこかあたまがおかしくなったのではないか。ひとが死なないなんていうことはないのだ・・・・。
それが嘘をつくということだとでも、主張したいのか・・・。
そんなバカな・・・。ヒトは生まれたら死ぬなんて、そんなことはない。
人は生まれたら、死ぬその寸前までは死なないのだ。だから、安心して生きることだ。
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