副首都の緊急性
ひとのからだには重複しているものがある。
目が二つある。耳もそうだ。
そして手足も2本ずつある。
腎臓は二つある。
でも、ひとつのものもある。
あたま。
口。そして消化器系器官は1組だ。
呼吸系は肺は二つある。でも気管肢は一つだ。
では循環系はどうだ。
やはり、心臓は一つしかない。血管もそうだ。
目はセンサーとしての役目から二つある。
では、この日本の国土とその統制機能はどうだろうか。
頭脳は東京一つだ。
もちろん地方は47都道府県に分岐しているが、これは並列システムではない行政系だ。すべて直列系なので、うまく機能しないときがある。
国の政府機関は一つの組織だ。
あたまは二つ、あるとなかなかうまく機能しないのではないか・・・。
施設とか組織だけ二重にしても、機能しないのではないだろうか。
副首都をおくとしたら、国内ではなく、外国がいいのではないか・・・。
そんな発想はないのか。
協調連携とはそういうことをいうのではないだろうか。
グローバル化と情報の国際化、シームレス化はそういう既存の垣根を取り払ってもあまり意味のないことを教えているのではないか。
情報を分散しておくことで十分なのかもしれない。
いらない情報は邪魔でしかない。
地震などの自然災害は恐怖である。だが、人災も恐いものだろう。
制御できないおもちゃを利用し続けることはできないのだ。
やはり、人類滅亡のシナリオというものを世界で共有してその道を歩むということが回避できないのではないか。
というより、その滅亡までの道のりをしっかりと歩き続けることができるかのほうが不安になるのだ・・・。
副首都とつくることがどれだけ、社会から不安を取り除けるかは未知数でしかない。
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