もしも真夜中だったら・・・という想像力
そんな想像をするのは嫌だ。
でも、地震はどこでいつどんな程度のものが起きるか、わからないのだ。予知できるのは、確かな地殻のずれがデータとしてとらえられたときだけなのだ。
もう、いつこの範囲のどこで起きても不思議ではない・・・という切迫した状況にあるのだから、もう今すぐからずっと起きるまでが、時間軸にあるのだ。
だから、もしも真夜中だったらと考えること自体はとても対策として効果があるだろう。もしもあのM9.0の巨大地震が午後2時46分ではなく、真夜中の2時半ごろだったら、みんな寝静まっていたのではないか。
いや、それだけではない。もしも朝だったら、もしも夕方だったら・・・・とか、休みの日だったらとか、たまたまその時に居合わせてしまうなんていうことも旅行ならあるだろう。
いろいろな考えるのも不吉そうで嫌なのだが、やはり危機管理上はとても大事なことだ。どの程度ならどうなるのか。昔からいうように、どうしようもない状況だと直感的に感じたら、いままで嫌なこととして想像していた以上だなと危険を感じたら、やはり最後の手段は、この身ひとつで命からがら逃げるということだ・・・。
いろいろ考える。いろんな状況を想像する。
でも、最後は逃げることだ。
こころの底においておくだけでなく、危険だと感じたらすぐに出せるようにしておくことだ。それは直感だろう。そこでさて・・・「どこへ逃げるのか?」という大事なことが残っている。
これは、その時々でもしも地震で崩壊する建物や、道路など、樹木など、火災、水害いろいろあるから、いくつかの目標物をもっておかなければならない。
もうそれは実はあまり多くの選択肢はないのだ。もともと立地条件がどうなのかで決まる。震源地の位置との相対関係で津波による被害程度は変わるだろうし、その時の直感で逃げるしかない。
そして、すべてがわるい方向になったとしたら、そこであきらめる・・・という選択肢をいつもこころにしまっておこう。
最後にはやはり「アリガト・・・」と言いたいからだ。
いろいろな想像はするが、飛行機に乗ったら、みんな同じ運命だということを忘れてしまう。無事着陸すれば、それぞれがまた別の運命の道に散らばっていくのだ・・・。
でも、あきらめる前には「絶対にあきらめない・・・」という覚悟が大事なのだ。
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