地方分権3法
頭でっかちの中央集権制度。何から何まで中央政府におんぶにだっこだ。
それでいいのだ・・・とは言えない。とくに、最近はもう地方は疲弊し、閑散とした商店街がどこにいっても普通にある。
それは、みんなが中央を目指すからだ。そこに利権があるからだ。仕事をして食べていくには東京とか大阪とか大都市にいくことなのだ。だから、そこに集中してしまう。
過密の通勤。なんでもかんでも混雑しているところだ・・・。あの震災後の帰宅難民を観ただろうか。ずっと前から言われていたことが、直下の地震被害ではないのに起こったのだ。まさにオール電化の国家経済になっているので仕方がないのだ。
だから、もっと地方分権を進める必要がある。
今、日本の戦後教育うんぬんという老人たちが、まだいるものの、そんなことは気にしないことだ。地方行政に携わる公務員の力が、中央政府と同じか、それ以上に充実しているのだ。それは戦後日本が掲げた教育制度の成果である。
だから、まったく地方自治体への権限移譲は問題ないと言える。そこにある権益は公益であるはずなのに私利私欲のために使われて、政治にはお金がかかるとかなんとか言われてきたのだ。
そんな論理は通じない。
地方の優秀な公務員に中央の公務員はその組織上の権限を移転していけば、もっと人間らしい生活ができるのだ。何も多忙がいいわけではないのだ。
政治家も同様だ。国会だけが先生ではないのだ。地方議会の議員たちが一番よくその地元のことを知っているのだ。
国の仕事は外交と防衛だ。
教育も地方でいいのだ。教育委員会は地方のものだから、あまりそこに問題はないように想うのだがどうだろうか。管理と運営の問題は一番いい手段と方法を選べばいい・・・。
地方分権については日本は後進国であり、その歩みは遅々として進みもしないようだ。いらちの多い地域では、罵声がとんできてからずいぶんと時間が経っているのではないか。
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