いろいろな意見がでてくる・・・
物事には賛成と反対と中立と、そして無関心がある。
どっちでもいい。そういうひとが多い。なにかとてもやりきれなくなるのは、自分の関心が大きい問題がそういう人たちにはまったく興味をも示させないということだ。
なぜ?
わからない。
それは自然なのかもしれない。
人間は生まれながらに大きな機能をもっているのだが、個別にみるとそこに格差がある。それは遺伝的なものとやはり病的な結果としての総合機能を維持するための二次的な選択でもあるようだ。本人にしてみると、それは選択ではなく、運命というようなものであり、自分ではなんともできないことなのだ。
そんなとき、今までは表面的に同じなら、同じ扱いを受けて苦しんでいた。でも、経済的な能力がないと生活できず生きてもいけない。だから弱者は自然に淘汰されるという説もある。
しかし、どうだろうか。いろいろな意見の中に、賛否があり、中立があり、無関心があるという分類以外に何かあるだろうか。
意見の集約を制御しようとする動きがあることは確かだ。この世の中の仕組みで多数決というものがあるが、そこには少数意見の尊重という重要な条件がついている。
だが、通常少数意見はちからの不足を意味し、負けを押し付けられることである。いくら反対しても、いくら賛成しても、少数意見であれば、多数決という決まりには勝てないのだ。
そんなとき、わたしたちはどうしたらいいのか。
そんなとき、泣きべそをかいてめそめそすればいいのだろうが、そうもできない。そこに本当にやるべきことがあるなら、それはなんとかやる方法を見つけ出すしかない。考えが浅いかもしれない。もっと反対の意見のことを考えてみるとか、ただ反対しているだけではないようなことが多いのだ。
いろいろな意見がこれからもでてくる世の中であってほしいものだ・・・。なぜならば、そこに解決への道筋が隠れているにちがいないからだ。
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