法律は震災でも曲げてはいけないのか・・・
法の世界は難しくて、とてもわかりづらい。
だから、政府や自治体なのど行政府に法律でこうだとか、これが規則だからとか、言われると、面倒だから、また無知と蔑まれそうで、つい、主張とか、疑問をぶつけることをやめてわかったようなふりをしてしまうことはないだろうか。
津波に追われて高台に逃げるときに、車に乗せてといったら、定員オーバーだからと断られて歩いているうちに津波にさらわれて行方不明になったという例えの記事を観た。でも、真偽はわからないものの・・・、どうも極端な例ではないだろうか。
現実にそんな対応をするひとはいないと想うのだが、これに似たようなことはいっぱいあるらしい。
だいたい、法律を考えるとにいろいろな事態を想定しているはずだから、例外事項も含まれていることが当然なのだと理解している。ただ、問題は法律そのものが庶民のレベルにおりてきて日常どんどんと使われていることが少ないのだ。
だからいつもプロにお任せということになる。
そこにこの社会の発展の遅れの原因があるともいわれる。
どんどんとお茶碗のように日々役立つ存在にしていくべきだという意見が正しいのだ。法律はなんのためにあるのでしょうか?
そんな初歩的な疑問をみんなで話し合うことが、これからの再開、再生、安定という復興復旧に向けての足がかりになるのではないだろうか。
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