AKB48選挙結果からみえる笑顔は被災地の子供たちも・・・
もしどらが強かった。
もしも野球部の女子マネージャーがドラッカーの経営学の本を読んだら・・・という長いタイトルを正確にいうのは楽ではない。
だから、もしどら・・・というのだ。
前田敦子さんが、総選挙で第1位だという。
昨年はあまり関心がなかったし、あの大島優子さんと前田さんはどこか感じというか雰囲気が似ているので、普段は識別できないのだが・・・。
CDを購入して投票するので、200枚も買ったりしている若い青年もいたようだった。いや、もっとかも・・・。ずっと合わせるとマンションが変えるぐらい投資(?)したという無茶ぶりの若者もいたりするらしい。
なんで、どうして、そんなにフィーバーしているのか。
やっぱり、若い人たちの関心と興味があるところに社会の中心がむかうということだろう。子や孫が、いい・・・といえば、親たちや爺ばばたちは、それがうれしいのだ。
いいも悪いもないのだ。
外国の報道関係者が、この様子をみて日本は大馬鹿とかいわれてもへっちゃらなんだな・・・。そこが、やはり笑顔の集まるところだと、本能的に日本の文化とか伝統が教えてくれているのだろう。
先月の20日から28日まで宮城の石巻でボランティア(NGOのピースボートの事業)活動だった。かなり復旧しているものの、まだまだ川沿いの門脇町のところに漁船が堤防と住宅か会社の建物かの間に覆いかぶさっていて、私の知人の家には残念ながらいけなかったのだ。
ボランティアは期間中、作業場と宿舎(カスカファッションという事業所を借りていたらしい・・・)の間の往復だけで、いわゆる私的な外出は禁止されていたし、水も制限されて、トイレは仮設の和式だし、頭も洗えない、シャワーももちろんない・・・ということであったが、そもそもボランティア初参加でそういう厳しい現状をこのからだで体験するために来たのだから、地元でのトラブル、ボランティアのひとたちの背景は様々でいろいろな問題も起きればおきるということなのだと知った。
だから、ボランティアの人たちは、自己完結型での活動ができないと現地で迷惑になることだとつくづくわかった気がする。つい、気持ちが普段となると緩みがちで現地の被災者のこころに傷を与えにいったというようなことになってしまうこともあるだろう。
だから、よほど常識的になって大局的な頭で、行動しないといけない。ボランティアにいって自分のひ弱さを目の当たりにして、そこで挫けてしまうというか、打ちのめされることもあるのだ。支援するということは、そういう自分のこころの満足のためにいくのでもないし、自分の無力を認識するためにいくのでも、どっちでもないのだ。
それは、現地で猫の手も借りたいという状況での手助けなのだ。人手でないとできないことは多々ある。重機が入れないところとか、やはりひとの住む棲みかはひとの手が必要なのだ。
そういうヒトの手をできる範囲でお貸しするということだけでいいのだ。
たしかにヘドロは臭いし、いろいろな化学物質も混入している粉じんが舞い上がっているだろうし、ダイオキシンとかアスベストなどの問題もあるのだが、そういうことを知った上でおのれの安全をまもりつつ、やれることをやる・・・。そして、被災者たちと被災地に迷惑をかけないということなのだが、いざ現地へはいるとそれが難しいのだ・・・。
ありがとう・・・。
そういうひとことが、すべてを洗い流してくれた・・・。うれしかった・・・。非力で無力でもそんなことをいってもらった・・・。うれしいものだ。素直さが伝わってきて、自分もすなおになれたというのが、一番の収穫かもしれない。
被災地のこどもたちは、きっとAKB48の総選挙でその結果には関係なく、きっときっと喜んだに違いないのだ。とするとママやパパも爺ばばも笑顔になるのだから・・・。
子供たちはすぐに大人になり、この社会を導いていくのだ・・・。そこに笑顔がなければ、先にはすすまないだろう。
いのちがあるから、笑顔があるのだ・・・。この日本に幸あれ・・・・。
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