献血拒否されるフクシマ男性
こういうのを風評被害というのだ。
なんでそうなる。
私もなにかそういうこの日本社会の風潮を感じているひとりである。
でも、そこまで差別視するだろうか。できるものだろうか。
とても信じられない。
でも、ほんとうはフクシマに反応するのではなく、ニホンに反応する国際的な風潮があるのだ。ボイコットだ。
ニホン、ニッポン・・・。
そんな単語があると、近づくことも危険だとか、できるだけ近寄らない方がいい・・・ということを選択してしまうのだ。
近所付き合いでも、ちょっと村八分的な雰囲気があると、その潮流に背かないようにと気を使うことになり、風評被害をうけている村八分的な渦中のひとへの後ろめたさの中で、苦悩するが、それでも決してそれを擁護するような目立つ行動にはいかない・・・。
献血って、善意でするものだろう。
フクシマっていっても原発で被爆している可能性があるから・・・とでもいう理由だろうか。若き乙女なら、結婚とか、いろいろと影響ありと想うのが広島、長崎の経験からも推察される。現実に放射能がどうなのかという事実ではなく、そういう雰囲気に近づかないという、大まかな選択をしてしまうのが、この世の中のようだ。
そんなときどうするのがいいのだろうか。
血液がどうしても必要だ。緊急事態だ・・・。そんな時でも拒否するのだろうか。日本だからだめだとか、それはチェルノブイリだから云々ということも同じだったのではないか。
どこかでありえない事故や災害がおきると、それはその土地のこれまでの行動に原因があるなんていうことが言われることもある。
危うきことに近づかない・・・。
これが世の中の常識なのだ。
でも、もっと大局的にものごとを見てほしいものだ。とくに、献血に従事する医療関係者は社会の公益のためにはたらく数少ない業種ではないのか・・・。多くのひとびとが血液やその成分を欲していることが、背景にあるのだが、こと原発と放射線の恐怖は常識的な判断というものを奪い去ってしまったのではないか。
フクシマの男性は大きく傷ついたのではないか。また、それを知った子供たちは自分たちへの偏見をびんかんに感じとっているのではないのか。
とても悲しいことであり、もっと素直にこの災害の状況を見つめていかなければ、復旧復興の道はとても険しいもののままで変わりはしないだろう・・・。
それが怖いことだ。
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