勝敗はきにしないこと・・・
勝負事はその結果を期待してかっかすることから、焦りを生むのだ。
わたしもそうだが、結果を気にすると、中身の品質というか良さをどうのこうのということは頭の中で価値をもたなくなる。
どっちが無意味なのかは明らかなのだが、そんな時は品質よりも結果がすべてと想いこんでしまうのだ。
だって、結果がでないとその後の成果にならない。
技術を改善とかいう段階ではなく、結果を求めている時期だから、そうなんだと言い訳をしている自分がいる。でも、結果も成果もでてはこないのだ。なんで・・・?となるのだが、当然のことだ。
求められる品質をそこに提供できないでいるのだから・・・、当然なのだ。
もうちょっとなのだ。ほんの少し、どっかのライバルに足りないのだ。相手も同様に結果を追い求めているのであれば、いいのだが・・・。そこが違うのだ。相手はたぶん、勝敗ではなくその中身の良さを求めて勝負に挑んでいるはずだ。
だから・・・。
だから、きっとそういう余裕があるということだろう。きっと、勝ち負けという結果にこだわるとそこで意識が停滞することをすでに経験済みなのだろう。
勝敗は気にしないことだ。同じちからで伍しているなら、それは五分五分なのだから、常勝というわけにはいくまい。
それでいいのだ。
負けるが勝ちというではないか。
引き分けよりもすっきりと負けた方がいいのではないかと、個人的には想うのだがどうだろうか。
きにしないことだ・・・。
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