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怒りの目処を相手より冷めたところにおく・・・

一定の目処とはなんですか・・・(怒りを顔面に込めて、めじりをつりあげて・・・)。

それはその通り、一定のメドのことです・・・(さも、あっさりと・・・)。

だから、その中身はいつまでということなんですか・・・(怒って・・・怒って・・・、もっと・・・)。

いや、それは何度も言った通りです・・・(さらに、くったくなく自然に答える・・・)。

どんどんと二つの間でそのこころの中の温度差が開いていくのだった。

まあ、このへんでいいかな・・・・と冷静な方は判断できるらしい。最後に当事者の人格とか性格とか、品のなさとか、場合によっては奥さんの悪い評判(聞きかじりで内容は二の次だが、確実に怒りを爆発させるようなつまらないことをトリガーとして残しておいて、投げつけるのだ。

それで、怒髪天を衝くとか、怒髪冠を衝くとか・・・、ということになればそれでオッケーだ。

いずれにしても、怒りの目処を相手よりも冷めたところにおくことがポイントだ。

しかし、お互いに同じ戦術をとっていることもあり、いかにも怒りが爆発しそうだという演技をしているかもしれないので、より慎重な冷静さと相手の観察が必要である。

これは、いわゆるゲーム感覚でないとできないことだ・・・・。

政治家って、時には本気で怒っているようで、そうではないことが多い。だから、なんでもないとき、勝負とか天下分け目でない時に、弱いものに対して、わけのわからないことで怒りをぶつけるなんていうことがよくあるのだ。

江戸なの武家時代に町人を成敗するなんていうことがあったのも、みんな権力を笠にきた腹いせなのかもしれないという気がする。

優秀な官僚を追い出すには、恫喝すればいいなんていうのも、バカな政治家同士の憂さ晴らしで、それも自分では手をださずみ引導を渡すのは、同じ官僚にさせるなんていうのもアホらしい限りだ・・・。

しかし、こういうことが民主主義のそれもこの日本の最高決議機関で重要事項の意思決定に携わる政治の世界でなんの気なしに行われていること自体がとんとおかしいのだ。

ひととひととの出会いは、ときに国家の重大事を乗り切るための準備であったりするものだが、この国での戦後66年はなんの手立てもなく、米国の指示に頼りきってきたのではないか。少しの危機意識を持つこともなく、経済大国という偽名をつけられておだてられていい気になっていたつけが回ってきたのかもしれない。

常にできることを準備するという心構えが必要なのだ。何のためにということをしっかりと国民みんなが共有できる政治家の行動がなければ、この国は一秒たりとも続かないのだ。ウサギのままでは、捕食者の餌食だ。爪をとぎ、一寸法師の針の刀を刺す覚悟がなければいけないだろう。やられっぱなしでは、なさけない。やり返すのではなく、それは相手の新入に対する警告なのだ。そんなことをしたら、痛い目にあうよ・・・と教えることだ。

そのためにには、常に冷めたところにこころを置いておくこと、すぐに反応できるだけの準備をしていること、こういう当たり前のことがたいせつなのだ・・・。

冷めていること、相手よりも広く視野を保つことが、おのれのためだけでなく、相手の傷を大きくしないためのコツでもあるのだ・・・・。

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