ひとりでは限りがある・・・
どんなに偉いひとでも、ひとりでは限界がある。
どんなにすごい力持ちでも、ひとりでは限りがある。
どんなにりっぱなひとでも、誰かに騙されることはある。
ぜったいに嘘をつかない人でも、うそつきと言われることがある。
どんなにいい人でも、悪者に仕立てられることがある。
いくら悔しくても、すみませんと謝る勇気があるひともいる。
どんなにけなされても、信念を持ち続けることのできるひともいる。
ひとりでは、それでも限界がある。
こころとからだは、疲労してしまうものだ。
だから、一服してそんなときは休もう。
「必死にもがいている」リーダーは疲れているのだ。だれかが、そこに回復の手助けをしてもいいのではないだろうか。
でも、お前の役目は何もない。何もできない悪者だ・・・といわれてしまう。
日本経済の最大のリスクは、その日本国の政治にあるという。
だめなら蹴落とせ。
法治国家であるのに、起訴されているひとに支配されている政治の世界がある。もちろん、そういって嫌ってもとりまきはいっぱいいる。政治の一寸先は闇だと、居丈高にいう政治家はなんだろうか。騙しあいの友愛のごまかしの世界だろうというのか。甘いところがあるかも知れないなんて、みんなが利用しているのを知っててもそうなのだろうか。
何かふに落ちないのは、負けるが勝ちなんていうところだろうか。負けたふりをして、そこで権力をちらつかせて恩着せがましく行動する。
へつらうことが政治かもしれない。
僕は僕だというのは当然だろう。でも、惰性で動くと割りを食うことになるなんて、みんなわかっているのになんだろうか。
ひとりでは限界がある。
でも、ひとりのリーダーが世の中を救うのが一般的なことだ。
いつもいつも帰って論議してみます。議論が一番ですなんていうのは、結論のない単なる無駄骨でしかない。
そんな稚拙な政治で、この国難を乗り切れるのだろうか。
でも、ひとりでは限界がある。
それでも、ひとりの強い信念がなければ、被災地のひとたちの心をつかんでそのニーズをくみ上げて地域復旧復興への道のりを歩むことはできないのだ。
ひとりひとりがその限界をしりながら、連携していくことでしか、こんな大災害は克服できるわけがない。
そこで心がへし折られてしまうだけだ。
ほんのちょっとのちからでいいのだ。
足の引っ張り合いではなく、そこにどんな悪そうな奴でも、そういう立場で必死になっているなら、必死に民のことを考えている政治家なら、それはそれで尊敬して協力し支援していかなければならない。
何が何でも菅卸し、菅つぶし、菅にくしといってあほ呼ばわりでは、なんともならない。褒め殺しでもいいから、もっと被災者のことを考えた言動を国会ではするべきだ。
政治家とは信用とか尊敬とかのないひとたちのことのようだ。
どこでそういう風に変身するのだろうか。
ひとりでは限界があるから、ひとりひとりが協力して連携してその限界をどんどん拡大していかなければならないのだ・・・。
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