ゆさぶりをかけてきたら・・・
ゆさぶりをかけられたら、どうする。
そんなことは、日常茶飯だ。
どんな揺さぶりだろうとも、そんなものへっちゃらだ。
かわすだけだ。
だって、ゆさぶりは恐喝であり、脅しだからだ。
そんなことは、みんな後ろ髪を引かれるぐらいにけったくそ悪い想いで一か八かでやっているのだ。
勝算があるわけではない。破れかぶれなのだ。
負けたらそこでおしまいなのだ。そんな崖っぷちにたって何が大きな大事な仕事ができるわけがないだろう。
脅すならもっと、相手が胆を冷やすようなことを狙え。そして、おのれのいのちが長らえるようなことはするな。捨て身でなけらばならない。
でも、そんな緊張感はまったくない。
ひとめで見破られてしまう。
そんなことに同調するのが他党の野党だなんて、なんという体たらくだろうか。
個人非難、人格とか品格とかがない。まあ、品がない悪態をつくだけついて、こっぴどく非難しても批判しても、それがこの国の国会という最高決議機関での話し合いなのだから・・・、とんでもないことだとだれもが思わないのだろうか。とても不思議だ。
揺さぶりをかけて、次の矢、三の矢も用意していたとかいうが、要は鳩山さんのヤジロベーを一瞬どっちかに振るかで勝負が決まった。こんな程度なのだ。茶番劇だ。B級コメディだとも言われているのだが、もっともだ。
そんな茶番で、マイナスがプラスになるなんて・・・。
空気を読めない人が何人かいたが、それはそれでいいではないか。どっかの側溝にうっかりしておっこちたのだから、そんなもんだ。
揺さぶりで、方針は変わらない。
そんなもの日常茶飯なのだ。朝飯前なのだ。だって、当然のことだ。みんなわかっていてやっているのだ。
崇高でもなんでもない場なのだ。選ばれたのは、ほかに人がいなかったからだ。国民をたぶらかすのは政治家のお家芸だから、なんということはないのだ。
怒りを誘うだけだ。
揺さぶりをかけて、かわされた、それに腹をたてて、立腹だって・・・。
相手の思うつぼだって気がついているのだろう。だまされたふりをしてみているのだろう。だって、野党ってほかの政党だぜ・・・。
同じ仲間の党の中で、うまく立ち回ってみせたのだろう。
妥協点はなんだ。
メンツを保てるようにすること。起訴中のオザワ氏を捨てないこと。造反にあまり荒行を貸さないこと。そんな妥協がもちろんあっただろう。振り上げた斧を下すのには、カラオケでも歌えばそんなものでいいのだ・・・って、えへらえへらしているのではないか。
いや、もっと深刻ではないのか。
いのちを賭してやったのではないのか。
政治は塀の中と紙一重ともいう。善悪の判断まで、そんな具合ではないのか。お金と政治は切り離せないらしい。カネがなければ政治はできない。カネが政治そのものなのだ。公金をいかに自由に私利私欲とか私益のために回すかだなんて、一昔前の政治家の話ではなかったのか。
今でも同じらしい。
そんなに変わるはずもない。
ゆさぶりって、恐喝なのだ。恐喝におたおたしていては、一国の総理は務まらないのだろう。だから、そうならないことが、たった一つのこの国のトップたる総理の必要な条件なのではないか。
人格品格騒動でいや気がさしたら、辞任すればいいのだ。だれがなってもおんなじだ。変わりはしない。不正を働いていなければ、だれでも同じだ。悪いやつのほうが、脅しがきいていいなんていうのは、政界の常識だったなんてみんな知っていて忘れたふりをしているのだ・・・。
だから、揺さぶりをかけられるように、弱みを一杯もっていることが必要だ。あいつの弱みを握っているなんていうだけで・・・、ワルの株があがるというものだ。
ゆさぶりをかけてばかりだと、そのうちだれかの刃に倒れるというものだ。
でもそんなこと気にしないことだ。
いのちを落とさない程度にやることだ。
いのちがあれば、何度でも挑戦はできるのだ。
災害と同じだ。
いのちをなくさないことが大事なのだ。そこに茶番劇の真髄が隠されているのだ。
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