さや侍
みんな日本国民は、さや侍ではないのか。
きっと、そうだ。
こころの中に刀をもっているのだ。
腰の刀はさやのみでも、それはりっぱな刀なのだ。
ひとを傷つけないこと、それが侍の侍たる由縁だとも聞いたことがある。
死を恐れないこととは、つまり、おのれを最後に終わらせるためのものなのかもしれない。
だから、どう見ても他者を傷つけたり、殺したりするものではないのだ。
拳銃でいうとなんだろうか。引き金のないピストルだろうか、弾の入っていない拳銃だろうか。
大切なものは、すべてこころの中にあるのだ・・・。
りっぱな侍だましいは、さやの中の刀身ではなく、こころの中にあるということではないだろうか。
久しぶりに何か劇場でみてみたい邦画作品かもしれない・・・。さや侍って面白そうだ。
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