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果敢な挑戦

ドイツ。

この国は、ヒトラーや日本と同じくWWIIで敗戦したことで有名である。

また、分離された東西ドイツを西側が解放させたことでも、国際的に特徴ある国家である。

その国は、サッカーと同様に、果敢な挑戦をしている。

原発廃止という政策をたてた。

ある報道では、フランスなどの隣国から、電力を購入するので、その挑戦的な政策はさほど意味をなさないというが、真偽のほどは定かではない。

多分にそれは原発に頼らざるを得ない国々のねたみのような気もする。国家の根幹にかかわるエネルギー政策を他国依存というあいまいな方法でよしとできるような国民性ではないと、このアジアの日本からみてもそう映るからだ。

自然エネルギーの導入を行う。そのための技術開発が進めば、今、この時点で考えるものは陳腐化している未来がきっとあるだろう。

人類は、単に発展することがいいのではない。その数は90億へと突っ走っているという。許容できる数は現在の60億でも満杯だという。

もし、人間が生物の多様性とか、他の生物の生存権とかを尊ぶ政策をとるなら、その限界は1億からせいぜい5億だという説があるようだ。

しかし、共存することは容易ではない。共生する関係は互いに依存しあうのでウインウインと言えるが、たいていは競争関係である。競合する関係では食うか食われるかという捕食関係にある生物の間では敵対するという極めて危険なものである。そんな選択が容易にできる状況にあるかというと、それはない・・・。

でも、ディープエコロジストたちは人間のエゴを指摘している。

しかし、そういうこともエネルギー政策での原発からの脱却という方針にも大きな関係がある。他の生物の生存を脅かすことは、人類の持続的な生存を脅かすものでもある。

人間はこの地球という空間の生き物のひとつの種類なのだから、それは当然のことだ。

ほかの生物が消え失せて初めて、人類は気がつくのではないか・・・、もう終わりだということを・・・だ。

それは、競争する社会の終末なのだろう。

やはりどんなことがあろうとも、生物の多様性という概念をなんとかこの世の中に維持して具体的な方策を実施していかなければ、人類の未来もないということなのだ。

果敢なドイツの挑戦は、なにかフクシマの原発事故の人知を超えた恐怖への答えを示しているように私には見えるのだ。

これでもまだ目先の小手先だけの方針でいいのか。

そこに東海地震や南海、東南海という地震の予測があるから、浜岡だけをとめるという選択では、なんともこの日本沈没という想定に乗っかった寸足らずの愚策としか言えないのではないか・・・と、想うのだ。

だったら、どうする。

日本経済の回復というシナリオが一番大事なのだろうか。

日本政府は、世界59カ国の中でほとんど評価は最下層レベルにあるという。でも、そういう評価で反発するような状況にはないこともみんな知っているのだ。この国は美しいし、素晴らしい国だ。そんな日本を愛する国民は、もちろんみんなこの国土が大好きであり、この同胞である日本の民が大好きなのだ。いつまでも、この国土に日本の民として暮らし続けたいのだ。

そのためには、果敢な挑戦というものをドイツに倣うとか倣わないとかではなく、日本の伝統的な生きざまとして選択していく道を探求する価値があるのではないだろうか。

果敢な挑戦は、だれのお家芸でもないのだ。

原発の恐怖とともに、それ以上に生物の多様性を損なうこと、もう回復不可能な状況にあることが、そういう選択を無駄にさせているともいえる。

でも、ここであきらめるという選択もない・・・。

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