生きざまを示すには・・・
わたしたちが生きていることを、示すにはどうしたらいいのだろうか。
社会に貢献できることを探し求めて、そこに焦点を絞った活動を推進していくことでいいのだろうか。
それとも、自分という存在を示すには財力が必要なのだろうか。貧しいという状況では生きざまを示すこともできないのだろうか。
成功を収めることでしか、生きている証をこの世に残すことはできないのだろうか。
いろいろな人がいる。でも、みんな同じいのちをもって生まれてきたのだ。そして、同じいのちをもって生きたのだ。終わりがくるまで、みんなのいのちは同じものだったと、私は想う。
でも、そこで生きているときに、そんな想いはなかった。
なんとか生きたという証を手にしてみたいと思っても、それはどうしたらいいのかわからないのだ。
生きざまを示すには、どうしたらいいのか。みんなそういうところで迷うようだ。
でも、自然にひとはなにもしなくとも生きている。ごはんをたべて栄養をからだにあたえて、そのための理屈をこころに教えこまなくとも、うまれつき生きると言う本能をもっているのだった。
そんな心配をしてしまった。
どう生きたらいいのかなんて、本能に刻まれているのだ。でも、おれとしての生きざまはDNAに刻まれているのか・・・。生まれてから、何か新たに得たものはなかったのか。そこで得たものでこの世の中にしてやれることはないのか・・・。
その辺はどうなのか。すべてが本能に入っているから、べつに頓着しなくてもいいような気もするが、ちょっと自分の味付けなんていうものがあってもいいのではないか・・・。
そんな気もする。まあ、自然に生きるということだろうか。自分らしく生きるということは、そうなのかもしれない。
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