こころのインフラ整備
大事なことはなんだ。
ひとはこころとからだをもっている。
からだはひとのインフラだろうか。
物体だろうか。こころをからだはささえることができるのか。
もっとちがうインフラがこころには必要ではないのか。
熟れて落ちそうなこころは、支えがいるのではないか。
腐敗して液状化しているこころには、なにか漏れないようにする器がいるのではないか。
もっとつよくなるには、こころのインフラがいることは以前話したではないか。
でも、それがどういうものかは、わたしにもわからない。
こころのインフラ整備は、からだの骨と筋肉と神経と血流と息づかいと同じようなものだろうか。
頭の中にある脳の活性化のためのインフラとはなんだろうか。ソフトのインフラということになろうか。
つまり、からだのしくみである呼吸と血流と骨格と筋肉をいかに脳の活動に有効なように働かせるかというコントロール機能ではないのか。それは知恵というやつのように思うのだがどうか。
こころのインフラをどう整備するか、そう難しいことではないだろう。その必要性を意識するだけで、ほらすぐに出来上がってきているではないか。
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