食品安全委員会
新たな組織ができて3年だろうか。いや、もっと経っているだろうか。
厚労省と農水省を包含する食品の安全は、とても大切なものである。
とりわけ安心というものはカネでは買えないという認識でもある。
そこには人間の心理があるから、疑惑とか疑心暗鬼の状態では安心は根付かないのだ。
東日本大震災における原発事故は、放射能の汚染という事態をもたらしてしまった。
そこから、ありえないはずの食品の放射能汚染が始まっているのだ。人体には影響がないレベルとは当初から、社会的な不安を広げないようにという配慮で報道されてきたのだが、原発事故のレベルが7になり、これは何かあるな・・・という雰囲気が日本および国際社会に広がったのだ。
案の定、大量の放射性物質が大気中に放出されていたのだ。ありえないはずのメルトダウン、そしてメルトスルーという想像すらおこがましいという事故が起こってしまっていたのだ。
これは確かに我が国の原子力発電行政の大きなほころびが出たのであり、責任逃れの隠ぺい体質も垣間見られるし、しらんぷりを決める御用学者の先生たちも大勢いるようだ。
野菜、魚、そして牛肉問題へと発展している。
とくに牛肉はそのエサである稲わらの放射能汚染が原因で肉牛が汚染され、牛肉そのものの汚染につながっているのだ。
食品安全委員会はある報告を行ったのだが、人体には影響がないレベルという基準を提案しつつも、幼児とかこどもたちへの影響となると明確にしてはいないのだ。これでは、見方によって責任逃れということでしかなくなる。
国民の健康のための基準を提示しているのだが、それはすべて安全ですという基準の提示ではなくなっており責任回避のためのものとなっている。委員会としては、それでいいのだろうが、国民の視点でみてほしいという委員会設立の趣旨とはまた異なってしまっているようである。
すべての責任を放射能を放出したところへと持っていくことにも、こんな大事故では限界がある。時間的な問題もある。何百年にもわたる影響をこの原発周辺および汚染大気の通り道となった地域では被ったのだ。
先祖代々の土地が、放射能で汚染する。原発の立地がなければ・・・という話になってしまうが、この原発事故の規模からみると日本国土は小さい。すべての国土が各地の原発が一度に暴発してしまったら、一瞬のうちに汚染国土へと変化してしまう規模ではないのか。
食品の安全において、放射能は安全を脅かすものである。病原菌の汚染やウィルスの汚染なら、そこを退治することなのだが、放射能汚染の場合に効果のある薬物とか除染剤はあるのだろうか。
常に放射能を除染して食べ物を調理するということが今後、必要になるのかもしれない。
なにも食べるものがなくなりそうな不安にはまだ襲われていないだろうか。
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