中国を批判できる日本か?
日本の原発処理問題に関して、3.11以降の経緯を観察すると、そこに見えてくるものがあるように思えるのだが、どうだろうか。
特に枝野官房長官や海江田経産相の発言について、そこに真実に基づいてすべてが報道されているかどうか、真相は闇の中であり、政府の幹部には到底理解できていないという判断が正しいのかどうか、とても疑わしい気がする。
原発事故での放射能漏れが一番の問題だ。
チェルノブイリでの放射能漏れとその拡散状況は公開されている。それを元にした、東海地震で浜岡原発が放射能漏れ事故を起こした場合のシミュレーションの資料もネット上にはあった。でも、福島の場合はなかった。それは、東北での地震の起きる順番は東海などの後という位置づけであったということかもしれない。
そんな中身を検証していると、中国の鉄道事故の状況を隠ぺい体質だと批判できる日本政府なのだろうか、日本のマスコミや国民世論も含めて、そんな資格はないに等しいのではないだろうか。
他者の批判は勝手と言えばそうだが、やはりわが身を正していかなければならないのだ。
それは、日本の財政状況にも当てはまるようだ。欧州や米国を高みの見物とはいかないだろう。もっと、本質に迫った解決策を出すべきである。
政府の復興復旧のちからを高めるには財源が不可欠であり、増税かそれとも成長による税収増を狙うのか・・・なんて、議論があるが、いるものはいるのだ。国難というものは、願っても来てくれるものではないのだから、現実に対峙していることになっている今、それに正々堂々と対処していこうではないか。
どんな選択肢があり、どんな我慢が国民に必要なのかをしっかりと、そういう計画案のひとつとして示すことで、その中から何を適用していくかは、議論すればいいのだ。
中国を批判する日本ということではなく、どんな場面でも、問題解決への協力支援を行うという姿勢でいなければならないのではないか。そして、それが、この日本が世界で生きていく唯一の道ではないだろうか。
中国を批判することだけでは、何も生まれてはこない。
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