中国列車事故の教訓
技術は万全であるべきだが、ヒューマンエラーと総合的な構想力がその結果として表れることがある。
安全重視と速度の関係でいえば、どうなのか。
普通であれば、そこに余裕を持たせることで、安全への信頼性を確保するということだろう。でもなかなか難しいようだ。
優先事項が国威発揚なら、技術立国という世論への誇示なら、そういう余裕はおごりとなってしまうのだ。
交通輸送機関での最優先は、安全を利用者に提供することであろう。でも、なにか技術で競い合うためだけに気をとられていては、本来の技術者倫理は下手なエンジニアの代名詞になり下がるのかもしれない。
軍事兵器の開発で、いくさに勝利するためにという目的で大量殺戮を達成することがその手段になるならという考えに至るようなものではないのか。そこで歯止めになる論理は見つからないのだろう。
国家反逆罪とか、罪人になり処刑されるような社会では、自由にモノが言える環境にはないのだ。ひとは生まれたら死ぬものだと悟ることでしか、自分の主張を展開することはできないのかもしれない。
やはり、技術力をしっかりと基礎の上に打ち立てることが大事なのだ。日本やドイツは技術立国として真摯に向き合って相手国の技術と技術陣に敬意を払っている。医学でもそうだ。オランダから入ってきた蘭学は日本医学界の発展、そして日本人の健康増進におおきな役割を果たしてきた。
怖い。あんな大きくて長いものが高速で突っ走るのは、だれでも怖いと感じる。だからこそ、そこに安全を最大に優先させるという方針が意味をもつのだ。
原発も怖い。核も怖い。だから、そこで安全なのか、ほんとうにそうなのか・・・ということを真摯に見つめなおしていかなければならないのだ。
技術立国としては、どんな分野のどんな技術でも大切にしていくという心構えが必要だろう。だが、安全を無視するとか、目的をはき違えてしまう危険性はあるだろう。技術そのものを誇示することは、やはりおなじような危険性を持っており、そこに無理が生じて容易にヒューマンエラーを誘いだしてしまうことにもなるのだ。
ほんの少しの技術者としての誇りは、やはり顧客への最大のおくりものは安全だというしっかりした倫理観ではないだろうか。
ひとつの教訓だ。なかなか現実には少ないが、おなじようなことはどこにでもある。大きな事故の背景には、そんな教訓がいっぱい隠されているのだ。
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