冬のオリンピック
平昌はピョンチャンと読む。
韓国北部のリゾート地だ。
昨夜、IOC委員会で決定したのだ。2018年の冬季オリンピックの開催地に正式に決まったらしい。
日本では1979年の札幌と、1996年の長野の2か所で開催している。
国際スポーツ大会、とくにオリンピックの開催地は経済的にも国家的な行事であり、勢いがないと決して実行はできないような代物だろう。
国家の威厳をかけて、安全に実施するということが大切だ。
治安に不安があれば、そこで開催はできない。
だから、実行までの7年間という歳月を国家の安定のために政治も経済も努力して向上させていく地力がないといけないのだ。
今の日本のような中途半端な状態では、開催は不可能だ。
冬のオリンピックはキムヨナ選手のプレゼンが効を奏したとの評価もある。
金メダリストのちからは、どこの国でもすごいものがあるようだ。
はやく堂々とオリンピックを開催できるような一等国になりたいものだ・・・。
でも、無理だ・・・。今は、都知事がなにを言おうとも開催しない方がいい・・・。
原発不安が独り歩きししているとまでは言いたくないが、国民の一人として、もし惨事がおきたら・・・という不安をぬぐいきれないのが実情である。
だから、巻き込みたくないのだ。
もっとじっくりと不安を除外できる環境を整えてから・・・でいいのだ。日本はそんなに経済大国でいることが、成熟した国際社会に入るということでもないのだ。地道におのれの道を歩んでいるということの方が大事なのだ。
韓国の冬のオリンピックを楽しもうではないか。来年はロンドンだし、英国でエンジョイすることでいいだろう・・・。放射能の国土に外個人選手を巻き込むためのプロモーションなんて無駄の代名詞だろう。
そのうち・・・、きっと開催できる。ちがう日本という国家を築いて世界のみんなを迎え入れようではないか、そのうち・・・きっと・・・。それでいいのだ。大丈夫だ。安心していいのだ。焦るな・・・。大丈夫だから・・・。
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