なんにでもなれる・・・
おふくろがこどものころ、いっていた。
あんたはなんでも自分の好きなことをしていいのだよ。
なんにでもなれるのだ・・・よ。
そんなことをいってきかせてくれたのを、ぼくはいつもあたまの中に想い描くことができる。
自由のなかの不自由さというものに、なにかイライラしている自分の存在に腹が立つ。
そうなんだ。
不自由さの中で、自由を夢見るのがいいのだろうか。
それとも自由な世界で、まだまだ不自由だと大声で叫ぶことがいいのだろうか。
時の総理を辞めさせるという主張をしたら、すぐに連行されて、処刑(粛清)される夢をみる。現実はいろんな人がいろいろと主張して自由に発表している。みんなが喧々囂々の主張を勝手にやっている。
でも、だれも総理の悪口をいってたり、いじめとか、非難中傷のごとき腹立つことをいっていても、連行されたり、処刑されたりはしていないようだ。
これが、おふくろの言っていたなんにでもなれるという社会なのだろうか・・・と想う。
でも、これでもやはり不満はある。
自由と不自由という狭間でその都度、なにかが繰り返されているのかもしれない。
なんにでもなれる・・・なだよな。そうだ・・・、とおふくろが夢のなかで答えているに違いない。そうだ・・・、と。
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