サンマはどこがいい
サンマは目黒ではなかっただろうか。
それとも東北沖の旬のものがいいのだろうか。
このサンマ、実は「三間(さんま)」なのだという。
えっ、なぜ。
ジカン、クウカン、ナカマ。
この三つの言葉にある「間(ま)」のことをいうのだ。
お外で遊べない東北のこともたちに必要なもの、時間、空間、仲間という三つなのだ。
元気にいつになったら、遊べるか。
学校のチャイムはなんのための合図かというクイズのようなものもあった。
私は休み時間の始まりと終わりの合図であり、授業の終わりと始まりでもあると想っていたが、片方で理解していた子たちもおおいというのだ。
チャイムがなったら教室から運動場へいたずら小僧たちが駆け出して少ない15分ぐらいを遊んでいる姿がだれの目にも浮かぶのではないか。
はやく収束することが、子供たちのために必要なのだ・・・。
サンマを東北の放射能汚染地域の子供たちへはやく提供しなければ・・・いけないのだ。
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