安全確認と安定供給をめざすこと
原発テスト。統一見解。再稼働・・・。
そして、次に来る言葉はなんだろうか。
「あいまいな・・・」統一見解ということのようだ。
ところで何が大事なのか・・・再確認しよう。
政争が大事か。政党が大事か。政権が大事か。
やはり政治家が忘れている国民が大事なのだ。その国民には幼児から青年、壮年、老年といろいろだ。病人もいるし、健康なひともいるのだ。
働く機会を失ったひとたちもいる。雇用できない経営者もいるし、仕事を再開できないひとたちもいる。
でも、電気はいる。
電気は安全に安定して供給することが大事なのだ。
ニュースでは、肉牛が問題になっている。出荷した農家が責められているものの、原発の立地がなければ起きない事故である。だれを責めたらいいのか、だれにもわからないかもしれない。
しかし、この世の中の仕組みをどうするかは、国民の問題だ。政治家の問題ではない。政治家とは国民の声を代表するひとのことであり、政治家という職業はないのだ。
効率的な社会が最高だろうか。それとも非効率でもそこに生活の楽しさが感じられるものがいいのではないだろうか。
オール電化がこれからの生活の主流だとしたら・・・、もう直に火をおこしてご飯をたくとかお鍋で味噌汁を炎の上で作るとかいうことは、とても危険なものだということになってしまうのではないか・・・。
多少の危険がないとひとは生きていけないのではないか。
この地球上がすべてオール電化になる日は来ないのだし、そんな世界をだれも望みはしないのだ。
その土地での目的があり、ちがう土地でのいろいろな体験や生活ができる環境を維持していきたいものだ・・・。
原発もないといけないものなのか、それともここで終わりにするものなのか。
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