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アスリートの悲しみ

日本のアスリートたちは、考えた。

おれたち、わたしたちになにができるのかを・・・。

大震災のときに、好きなことをスポーツをやっていていいものかと悩みもした。

みんな自分たちにできることをしっかりやることが大切なのだと、想ったのだった。

そして、あるひとは被災地で炊き出しをやったり、被災者を励ますイベントを行ったりした。また、あるひとたちは、大会の賞金を寄付するということを約束したり、寄付金を被災地に届けるための活動を行っている。

その悲しみは、なぜ自分たちがスポーツを継続してできるのかという幸せな状況を認識したことにあるのは確かだ。

みんなそういうことで感激した。被災者もほかの地域の支援者もアスリートに全力を尽くしていい成績を残してほしい。いや、全力を出していいプレーをしてほしいのだ。いつもいつもうまくいくわけはない。だから、いいのだ。結果はありのままでいいのだ。

そこでアスリートは悲しむ必要はない。

被災地では、アスリートたちの熱意が感じられれば、それで十二分に元気を得られるのだから、それでいいのだ。

自然の流れで勝ち負けは時の運、もっともその前の準備を入念に行うことが条件であり、もともと力のレベルの違う相手との競技では全力を出し切ることでいいのだ。

勝負は時の運といえる状況に参加していくことが大切なのだ。それが被災者のこころに炎をともすのだから・・・だ。

悲しみは生きるちからをもたらすことがあるのだ。

だから、いつまでも悲しむことはない。

自分のできることをしっかりやろうではないか。

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