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お盆と送り火

お盆だった。

迎え火と送り火もあった。

そこでこのお盆はなんのために行うのかっていう疑問がわいてきた。

それは、震災の津波によって倒された陸前高田の松原の松の木の処理に関することである。処理ってかたずけるってことなのだが、倒された松林の残骸はがれきのひとつであり、厄介者でしかない。

それを、震災復興という名のもとに、被災者を元気づけるということで京都の大文字焼きの薪に使うと震災で死亡したり行方不明となっている人々の供養になると考えたようだ。

今回の大震災の怖いところは、そういうひとの感情や気持ちではやれない放射能という危険性があることである。

それはいいだろう・・・。でも、放射能はどうだろうか・・・、となるのだ。

大丈夫だろうでは済まされないのだ。

でも、それは子供たちや妊婦さんおよびその予備軍という後続する世代のために、冷静に判断することであり、情とは離れて考えていくものである。

こころはみんな同じだ。同じところにある。

使う使わないという論争ではない。

お盆と送り火のことは、みんな私たちの祖先から受け継いできたものであり、この年のものはとくに東日本大震災の犠牲者となった死者の魂が主人公なのだ・・・っていうことを、忘れてはならないだろう。

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