重くのしかかる災害復旧復興財源の負担
かなり重い。
増税は仕方ないという大方の考えのようだ。
しかし、選挙を手控えている代議士先生は、増税という言葉を否定してみせている。どんなマジックがあるのだろうか。先延ばしということであろう。
税収の伸びって民間の経済力によって大きく変化するものであろう。否が応でも税金が入ってくるのだ。そんな状況をどうやって造り上げていくことができるのか。
やはり働くことであろう。雇用機会を与えることであろう。経済の活性化であろう。需要の増大策であろう。
とすると、国民ひとりひとりの活動を活発化することではないか。
しょんぼりしている仮設住宅の住人もいるが、中には元気いっぱいのお母さんたちもいるし旦那たちもいる。文句ばっかりいっているひともいるが、みんな生きているという実感は忘れはしないだろう。
今、生きているっていうことが大事なのだ。
ひとはいつか死ぬのだが、今、ここでいろいろと元気にしょんぼりでもなんでも生きているということが大切なのだ。震災から4カ月以上が経過して、やっぱりちょっとこころの片隅に疲れもあるのだ・・・。それはそれで疲れた・・・って、大きな声で叫ぶことだ。
ああ・・・、疲れてしまった・・・、ああ・・、ああ疲れた・・・。
こんなことでいいのだ。
また、元気がこの一人ひとりのからだとこころかた自然にわきあがってくるのだ。今までだってそうだったではないか。
何かふっきれなくても、そんなこともあんなことも何にも考えないで頭をからっぽにしてみようではないか。
もともと生まれたときは、そんな赤ん坊だったのだ。ただかわいいだけの赤ちゃんだったのだ。天真爛漫というけれど、そんなんだったのだ、みんなそうだったのだ。
どんなに重い負担があろうとも、ひとりではないのだ。できるときにやればいいのだ。今はできなくていいのだ。
この日本は四つの列島からなっているのだから、いいのだ。被災した時は黙ってお世話になればいいのだ。できるときにやってやるという心構えがあれば、そんなことはなんでもないのだ。
重さなんてそんなものは、みんなで担げばなんともないのだ。へっぴり腰でも大丈夫だ。国民全体の腰は頑健にできているのだ。
そんな民族なのだ。大丈夫なのだ。
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