弱いものいじめ
こんな表現は使いたくない。
しかし、契約を絶対とする米国社会のそれも人気抜群のMLBのヤンキースのGMが、おのれの責任回避のためにいっているのではないのか。
とんだとばっちりだ。
日本からの選手の導入は、こりごりだ・・・とかいっているというのだ。
なんでかは今までの報道で概略はわかっている。
井川投手の活躍が期待したレベルに行かなかったから・・・というのが、「こりごり・・・」ということなのだろう。そんな使い方が、起用法がまずいということではないのか。それが証拠に、当の井川選手は米国で懸命にその待遇に耐えながら頑張っているではないか。
土地が変わると水も食べ物もひとの人情も変わるのだと・・・、日本人ならどんな天才であろうとも不安になり、躊躇するのだ。
それでも、あこがれの米国がある。そこで自由に闊達にプレーしてみたいと、才能あるものたちは想うのだ。夢なのだ。
だから、契約で決めてやっているのだ。
とばっちりを日本のプレーヤーにかぶせるのは井川投手に対して、胸をど付くようなものではないのか。お前のために、日本のお前のの同胞が割りを食っているなんて、だれが何のためにいうのだ。
契約社会の米国で、責任を転嫁するなら、それは法廷で争うことではないのか。
どうにも米国社会も湿ってきているようで、なんともあこがれから、遠ざかっているように感じる。
弱い者いじめとして、バッシングされているものを、さらに追い打ちをかけるようなことは、世界のどこでも許されることではない。ひととして恥ずかしいことだとは思わないのだろうか。
それとも、ダルビッシュ投手やほかの選手を買いたたくという心理作戦なのか・・・。
それでも弱い者いじめそのものが、日本という国に対してのものなのか・・・と、ちょっと疑心暗鬼になる。
日米関係にも陰りがでているということだろうか。
あまりにも大きな存在の米国に日本はいつまでも、いじめられても黙っているような関係で我慢、がまんという現状から永遠に抜け出せないのだろうか。
米国で軽くあしらわれてしまうと、政治家は日本の総理といえども、そこで精神的にまいってしまい終焉を迎えざるをえなかったのだ。信用してください・・・なんていうのがおかしいとも想うのだが・・・。
日米関係は、スポーツ界でもきわめて微妙な状況にあるようだ。
どう改善し解決していくのか。
スポーツも政治も国家もなんのためにあるのか・・・、って考えるとみんな国民のためにあるという答えが返ってくるはずだ。それなら、へんに勘ぐる必要もない。
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