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まるで別人

時には仏のように、そしてある時はまた鬼のようにふるまう。

それが、大国の首相の務めである。

いや、演じているのだから、務めというよりも千両役者とでもいうのがいいだろうか。

中国の温家宝首相を見ていると、何かそんな感じがする。

そういう意味で日本の首相は、どこか意固地な感じがする。

それは、筋を通す必要がないか、あるかの違いではないか。

そんな気がした。

日本では野党に責められるから、卑屈になっている首相の姿しか国会中継では見られないのだ。それと皮肉をいっておのれを揶揄する姿がある。

そうだろう。耐えられないだろう。開き直るとしても、総理の椅子とはそういうものだ。どんな責任もそこにあるのだ。昔はどうだったのか。かなり一党独裁に近かったのであろう。そんな気がする。

まるで別人のような・・・。それは、責めるときは鬼になり、護るときは仏になるという演技が上手でないと務まらないのだ。

はっきり言って、役柄が違うのだから、演じているひとは違うのだ。だから別人なのだ。しかし、民主国家では別人に豹変することは、支持を失うことになるので、やっぱり地でいくしかないのだ。

頼りなさそうな地でいくということは、それがその人なのだ。信頼できそうなひともいるが、そういう仮面はすぐに剥がれてしまうのだ。

怒ったら負け、泣いたら負けという世界だ。だから、如何に相手を怒らせるか、如何に相手を泣かせるかが政治かの手腕になるのだろう。

でも、それってなんだかおかしい・・・。

しっかりと演じてもらった方が、台本がしっかりとしている場合は信頼できそうだ。

どうする。この国難からの復旧復興劇の顛末は・・・。原発問題はどうする・・・。これって意外と難しいのだ。だって、原発と核問題って基本的にはつながっているのだ。だって原料が燃料が材料が同じなのだから、平和利用であっても、軍事利用であっても、それを使わないというか、安全に使うか、使えるのかというのが、ポイントになるのだ。

まるで別人だ。原発の燃料と核爆弾の材料って、ほんとな同じなんだよな。ほんとはおんなじなんだ・・・。

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