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三つのニュース報道

代表選。

心の中での目の覚める思い。

独断と専制からの離脱。

これら三つが何を意味しているのか。ひとつは民主党のことだ。二つ目は竹脇無我さんの死に関するものだ。そして、三つめはアラブの春のリビアの反政府勢力のことだ。

たしかに元気そうに見えても、こころの中はわからない。あなたは勝てるのですか・・・と訊かれた野田財務大臣の心境はどうなのか。現職の大臣の責任はとても重いものだ。そういう中で背負っているものにさらに追い打ちをかけるような報道内容ではないか。

どんぐりの中に大粒のくりが割って入ってきたという表現がみられた。

勝ち馬に乗る。それが選挙での常道だともいう。

昨日の敵は今日の友ともいう。

日本の政治家が心身ともに健全であることをまず望みたいと私は想う。

カダフィ政権は崩壊したようだ。それでも、まだ生きているとどっかから叫んでいるという報道もある。でも、引き際はアラブの世界ではどうみるのだろうか。日本とは違う考え方があるのか。殉教という教えがあるようだ。もっと、自由な柔軟な発想を許容してもいいのではないかと、私は想うのだが、それはそれぞれの伝統と文化だから、尊重している。

なにか目に見えないちからで枠の中に押し込まれているのが、いいのかも知れない。

私はふとそう想うことがある。でも、それは自分で造った構想というものでなければならない。ただ、ほとんどは他力本願である。その方が楽なのかもしれない。なぜならば、何も考えずに文句だけ言えばいいからだ。ただ、その仕返しもあることを頭に置く必要はある。

殺されるという恐怖だろうか。この世の中で自己否定されることだろうか。だれかにおれの目の黒いうちは・・・と恫喝されて生きることはできないだろう。そんな問題を簡単に解決する・・・。世の中はじゃの道は・・・ということだろうか。

すべてリスクをなくそうとすると、そこにはとてつもない不安しかなくなる。だから、少しでも安全になるようにリスクフルな世の中を一歩一歩楽しむことが人生ではないのか。

そんな気がする。意気盛んな青年が、夢をもって生きることは尊いことである。しかし、その想いはすべてあるところにあるべきところになければ意味がないのだ。民主政権は怨念の世界から政策論議に集中できる政党へと脱皮できるのだろうか。

だれかが気付かなければ、好きだとか嫌いだとかいう世界になってしまう。その方が難しいことを論議するよりも楽であり目立つからという理由ではないのか。とにかく政治家にとって選挙に勝つことが一番大事だなんて勘違いしてしまう政界らしい。

私人として、公人として、そして国家の民として、なんとか意義あるいのちにしていかなければならない・・・と想った。

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