評論家では面白くない・・・
ひとつのことの専門家になる。
そのことについて評論する。
いかにも無責任に論破する。それが大衆に受ける。無責任さが受けるのだろう。
なぜ。
それは、みんな大衆のひとりだからであろう。
そんなにひとりひとりは、無責任になれないのだ。
生活全般とは、そんな狭い範囲の評論対象ではないし、いろいろなネットをはって情報を収集しているのだ。だから、そう気楽に御託を述べることはしない。
でも、世に評論家と呼ばれる人たちは、無責任にいろいろなことをいう。的外れのことをのうのうと述べ立てるのだ。
でも、そういう評論家たちは利口だから、それでは満足しない。面白くなくなる。
するとどうするのか。現実に対峙してみたくなる。
それが実は政治家の姿なのだという。
でも、そこでちからは発揮できないのだ。専門分野なんてせまいのだ。大勢の知恵袋がいて、政治の世界を動いている。だから、そこでのマネジメント能力は実に大切なものなのだ。
評論家ではほんとうの面白さはわからないのが、この世の中である。
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