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蝉の鳴かないふるさとの地・・・

もう蝉は当分なけないだろう。

土の中で羽化できないままに、死滅したのだ。

今年も蝉は被災地ではあまりなかないという。

もちろん津波被害の及ばないところでは、いつもと同じに蝉がないている。しかし、壊滅した自宅跡ではそんなものは聞こえない。

もう何年も先になるのだろう。

天災はそれでも大地が回復すればもとに戻る可能性がある。ひとがきずいた社会をもとに戻すには、大地の回復を支援していくとともにひとの根気が不可欠だ。いますぐにはできない相談だ。ましてや、放射能汚染は人災による大地への影響なのだ。だから、当然、ひとはその除染にちからを注ぐ必要がある。

もしも蝉やほかの多様な自然の中の生き物のひとつとともに、ひともいなくなったら、それも人災での原発事故とか戦争での被爆が原因だとしたら、どうなるのだろうか。

ひとのいない世界、ひとのふるさとである地球がそんな被害をうけるとしたら、どうなるのだろうか。この世界を創造した神様は、根気よく地球がよみがえるまで何億年も待つのだろうか。

一度、生き物のライフサイクルをとぎることは、そこでまったく新しい生き方を強いることなのだ。だから、そこで生き残った人間は、蝉のようにじっと復活するまでのプロセスを想像しながら待機するしかないのだ。

ひとのいないふるさと地球は、またゼロから無機、有機、単純生命体という過程を進むしかないのだろう。

自分をバカとかアホとか言えるような高等な知的生命体となるには、また数十億年が必要なのではないか。

その前に、人類は地球を離れて、宇宙へと進出していけるのか。太陽系を離れてずっと何光年も先の未来へと向かっていきていけるのだろうか。

地球は、そのとき、蝉のいない世界となり、ひとのいない世界となって、もう戻るとか、ふるさと地球なんていうメッセージもなんの意味もなくなっているのではないか。

根気よく、放射能の汚染除去に付き合って、そのメッセージをしっかりと遠い子孫に誤解のないように伝えていかなければならない。その時、ひとはもう知的生命体ではないのかもしれない。そんな情報の伝え方なんてあるのか。絵でわかるか。記号でわかるか。デジタル情報で解読できるか・・・。

その時は、無の世界・・・かもしれない。いらぬお世話であり、いらぬ心配なのかもしれない。子孫につけを残すなって・・・。壊滅させる元凶を残しているだけではないのか・・・。

先祖さまは、精いっぱいやったのだよと・・・、いう子孫は生き残っているのだろうか。

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