便利な道具を身につける・・・・
忘れ物をしてしまう。
お昼の弁当にお箸がなかった。
まさか手で食べるわけにはいかない。
はしを探す。スプーンでも、フォークでもいい。でも、木の枝を探して、ナイフで削ってどうしようかとまでは想わない。
なぜだ。
そこまではしない。探せばあるだろうから・・・である。
でも、マダガスカルのアイアイという猿は人差し指が細くなっていて、アリクイの舌とか、この日本人の箸のような役割をしている。
狭いところへ突っ込んで食べ物をかき出すのだ。からだにあるお箸のようなものだ。これなら忘れ物はしないだろう。便利だろう・・・。
でも、ちょっと不便かな。人間の場合はお箸をいつも手に取りつけておくわけにはいかないだろう。まあ、みんながそうなら、違和感はないだろうが、ひとりだけそうではちょっとおかしいかな。
こんな変化をみると、人間もほかの動物もどんどんと便利な方向へ変化していくのだろうと想えるものだ。どうなるだろうか。
車、飛行機、潜水艦、コンピューター、テレビ、通信などなど、道具ではなく、からだに機能するようなものをとりつけて進化していくのではないか。
空間移動なんていうと、分子レベルになるのではないか。
今のような実体は、もう不便さの何者でもなくなる気がする。
存在そのものが、バーチャル化している世界がすぐそこにあるのではないか。
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