連鎖;繁栄と貧困
繁栄の連鎖と貧困の連鎖のどちらを、あなたは願うのでしょうか。
繁栄する国家、貧困にあえぐ国民。
それとも貧困国家、繁栄する国民経済だろうか。
政治が繁栄すること、軍事力が適正に維持されること、経済が繁栄すること・・・は望ましい。
でも、どうだろうか。
政治が貧困で、軍事に国家財政を費やして、国民経済は困窮するというのが実態ではないか。
そんなときの連鎖とは主体である国民のちからの反映でしか得られないものではないだろうか。国民に甘っちょろいことを言ってばかりでいいのか。確かに選挙で一票を入れたくなる気持ちもある。でもそれは先の見通しがないからだ。もしも連鎖が貧困にむかうしかないなら、一票を甘ちゃんにいれるだろうか。
答えはノーである。
誰でもない。国民が支えることでしか、国家は生き返らないのだ。
教育と学びがその基本である。ほかには何もない。
政治家は国家経済を救えはしない。支えられやしないのだ。
ひとりの人間としての活動では、どんな優秀な役人でも博士でも大臣でも経済人でもできないのだ。
社会の仕組みをどう築いていくかにすべてはかかっているのだ。
おのれの関わりをもって、その社会の仕組みづくりに全力を尽くして協力していくことがやはり、大いなる連鎖を創造する唯一の道ではないのか。
連鎖をもたらそう。
国家と国民と反映と貧困という、これら四つの要素でなんとでもなるのだ。仕組み次第だ。だれも気付かないのだ。
予算委員会で相手の弱みをいくらつついても、それは相手を助けることでしかない。答弁が上手になるだけではないか。そんな答弁上手が、国民のためになるのだろうか。否である。
それでは、連鎖は決して起きないのだ。起きるのは、与野党の無意味な連鎖のみである。
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