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スポーツ万能のひとになることとは・・・

なんでもできる。やればできる。

そんなことをいとも簡単にいえるひとがいるだろう。きっと、この世の中にはいるだろう。

陸上選手の短距離走者って、いちばん凝縮されたアスリートのように思うのは私だけではないだろう。

ウサインボルト選手は世界の短距離第一人者である。それも今のひとである。

どうなのだろうか。

プロ野球、プロサッカー、ラグビー、水泳、スキー、ジャンプ、トライアスロン、マラソン、柔道とか剣道、レスリング、投擲競技(ハンマー、ヤリ、砲丸など)などなどいろいろある。

すべてに才能があるのではないか。

相撲ではどうだろうか。

ひとりのひとがその才能を発揮することは、周りのひとにとっては夢のようなことに映るのだ。

英雄だよな・・・。

そんな世界の才能が、もし政治家になったり、映画俳優になったり、ビジネスマンになってもきっと成功するのだろう。

ただ、人生は短い。とくに、いろいろとやりたいことが山のようにあるなら、それは一生、そんなおのれのこころに追いまくられてしまうことになる。

そして、すべてをやり遂げたときに想うのは、なんだろう。

私は、「ふつうのひととして生きることも体験したかった・・・」ではないのかと思うのだ。

ということは、わたしたち普通のひとは、多分に前世は天才でスーパーマンだったのかもしれない。前にできなかったことを今、こうして体験しているのだろう。

では、今活躍しているひとは、前世で何もやることのできなかったことの裏返しだとも言える。

いろいろとめちゃくちゃにやるのではなく、やはり、ひとつのことに精進することが大切のようである。

日本人として久しぶりに大関の誕生した大相撲、琴奨菊関は「万里一空」の境地で新小関として精進するといった。

ニュートリノは光よりも早いかもしれないと世界の科学者が発表した。アインシュタインの特殊相対性理論が崩れて、タイムマシンが可能かもしれないとの報道があった。夢だろうが、そうではないかもしれない。

当たり前だろう。光が最速なのだ。そんな常識も崩れるかもしれない。

どんな距離でもひとつの空間にあるなら、それは一瞬のことでありそうだし、それが時空をかけるという頭の中での空想でもある。

スポーツ万能ということよりも、大相撲で横綱を目指す琴奨菊関の努力と精進を、私はとっても尊いと想う。

それでも引退したら・・・いろいろと試してみてもらいたい。

才能っていいものだ。そして普通にいきることもまた、いいものだと私は想うのだ。

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