薪、花火、そしてひと?
汚染された薪。
汚染されてはいないかと疑われる花火。
そして、汚染されているかもしれないひとたち。
そんな気配りのない言葉やしぐさ、行動が、いろいろな世間で広まっている。
いじめの心理である。
みんないじめられるのは嫌だ。でも、ちょっと気を許すといじめられてしまうことがある。不用意に口にした地域名が、あああの土地のひとですか・・・。
・・・・。
・・・・。
そんな何気ないことが、じつはとても身にこたえるのだ。できれば関わりたくない。できれば離れていたい・・・。
薪に放射能が検出された・・・。花火も放射能汚染区域周辺で製造された・・・。そして、ひとも住所がその汚染地域や周辺や、地区名が同じだとかで差別を無意識に示される。
それが、日本ということになることもある。
それが、アジアということになることもある。
もはや風評被害の何ものでもない。
そんな時、わたしたちはどうすることができるのか。
なにもできやしないのだ。ただただ我慢するしかないのだ。
渦中にいるのだ。
だから、その原因を克服するのだ。それ以外、この地で子孫を育てて生活していくことは出来ないのだから、そうするのだ。我慢するのだ。
がまんだ・・・。
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