教育が問われる・・・
むやみに大声で世の中を現状を非難する。
こんなそんなが、世の中の注目を集めていると錯覚しているのはどうしてか。
お笑いタレントのお仕事ではないのだ。
政治家がもしも、人気とりの見本として芸能タレントをあげるなら、それはお門違いだ。
芸能タレントはその世界のプロなのだ。プロ同士が競い合って、芸能の仕事をしている。
政治家は、こつこつと国民のための政治を行うことだ。それが、どうもいつからか勘違いをしてしまっているようだ。
いわゆるサプライズとか、小泉劇場とか言われて、それにこたえるようなお芝居をしていたのではなかったか。どうせだめなら、ぶっ潰すしかない・・・と大衆心理に訴えたやり方はどこから来たのだろうか。
破れかぶれ先方だろうか。
その場しのぎだった。小泉劇場はそうだった。早口の経済学者が政治家になって、まくしたてる姿はもういい。
今、教育が問われている。
未曽有の困難に遭遇し、どう教えどう学ぶのかという教育の役割が問われているのだ。
そこには、防災とかこころのケアも含まれるのだ。混乱したときにどう動いたらいいのか。袋叩きってなんだっけ。
辻斬りに遭わないような対策を江戸のひとたちはやっていたのではないか。
江戸の文化には、繊細さと武骨さがあるようだ。
いたわりの心と、侮蔑のこころなんかが同居していたのだろう。
今は江戸の続きなのか。明治大正昭和そして平成の世の中だ。
西暦では2000年問題を通り越して、2011年に入っている。
どんな世界を創るのか、どんな生活を送るのか、今教育が問われているのだ。
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