つまずき
道の小石につまずいたことはないか。
なんのちょっとした道路とか駅の構内のタイルのでっぱりに躓いたことはないか。
疲れて帰ってくるときに、よくある話だ。足が上がっていないのだ。引きずっているのだろう。でも本人が気付かないのだ。
躓いてやっと気付くのだ。
でも、いつもこのぐらいはなんともない・・・で終わらせてしまう。だが、それで終わることは少ないのだ。ほとんどがシビアな病気へとつながるのだ。だんだんと老化していることに気付いているからこそ、最初は否定したがるのだ。
強がりなのだろう。だれでもそうだ・・・。俺もだ。
躓く石も縁の端。
これは、袖すりあうも他生の縁・・・と同じ意味だ。
でもちょっとニュアンスが異なるようだ。
袖のすりあいは、なんとなく友好的な感じがする。でも躓く石は、故意のような気がするのはどうしてか。
だれかが、足をだしていたのではないのか・・・。そんな僻み根性がでるのは、やはり疲れている証拠だろう。
人生に躓きはある。躓く石はいっぱいある。でも、そういう教訓が人生をほんとうは助けてくれるものではないのか。
躓いた石に「ガンバレ」って書いてあるのを、だれもしらないわけはないだろう。
ガンバレ・・・。
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