災害に遭ったら・・・
逃げること。シェルターに入る。
そして、助かることだ。
つぎにどうする。
それは、決して死ぬということではないはずだ。健康を保って助け合って、生きることがつぎのステップだ。
カダフィ大佐は、どこかで間違った。
死ぬことをいとわなかったのだろうか。殺すことにはなんの・・・という気がするが、自分のいのちを他人と同一視できなかったのだろうか。
それともすべてのことをやり終えたというのだろうか。
どうにも土管の中に逃げ込んで引きずり出されてしまうのは、いただけない。一国の指導者であったはずの立場からすれば、社会や国民のためにいのちをすてることは、当然の責務だとご本人がいっている分には、それは立派であろう。でも、なぜ逃げたりしたのか。
最高指導者で独裁者といえども、どこかでおのれの判断がなかったのではないか。とりまきに囲まれて、はだかの王様であったのではないか。
災害にあったらどうするか・・・という、基本的な考えがちっともなかったのではないか。もちろんおそれてはいただろう。
核開発の放棄で米国に頭を下げたころは、まだそこに理性があったのではないか。でも、やはり嘘は嘘をよぶようだ。国際社会の甘やかしがこんな結末を招いたということであろうか。
災害にあったら・・・どうする。
まず助かることだ。そして、つぎは生きることだ。簡単なことだ。助かって生きること、そのために私たちはいろいろな災害と戦うのだ。そこに助け合うというおのれの力不足を補う大切なことがこの社会にはある・・・。
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