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貧しさというポテンシャル

人間ってほんとうに自然にやさしい。

だって生活のレベルの違いがこの地球上にピンからキリまであり、みんながそれを知っているのにだ・・・。貧しさを通して生活している。

なぜだ。

もっと都会的な生活がいいのではないか。

衛生的なインフラの整った都会がいいのではないか。

でも、自然の中で、一見貧しそうに見える生活が、じつはとてつもなく健康的なことを忘れているのではないか。ふと、そんなことを想った。

貧しい国では、貧しい生活だけかと思ったら大間違いだ。そこには人間的な暮らしがある。自然と密着した生活がある。大昔のような哀愁のただよう生活がある。機械ではなく、生きた本物の牛や馬や猫や犬やイノシシや豚やその他、ハチとか魚とかヘビだっている。

家の中は夏は風が通り抜けるし、蚊もはえもどんどん入っているし、出ていくし、チョウも小鳥もトンボだって、カエルだって飛び込んでくるのだ。

それが貧しさだったのだろうか。

とてもつくりだそうとしても造れないものである。

そんな貴重な生活が貧しさという言葉だけで語られて、いらないもの、ほしくないものとして片づけられてしまう世の中ではないのか。

貧しさや、愚かさ、無知さ、ひ弱さ、バカさ、アホらしさ、そして、時にはいやしさまでもが、ひとつのこの世の中の未来に対するポテンシャルに見えるのだ。

なぜだろうか。

それはあまりにも・・・・、国家とか巨大を通り越したあまりにも超巨大な組織というか、メガな枠組みの中で複雑になっている現在をみているからではないのか。

もうこの下にはないという貧しさは、自然の中での自給自足の生活、原始の暮らしそのものではないだろうか。いのちの危険と日々戦う野生の生き物とでもいうのだろうか。いや、そこには最低限、社会という組織はあるのだ。こんな文明社会でも、いろいろな部族がいきている。

そこには、いろいろな文化があったのだし、それが今はなくなりつつある。

食糧を他に依存するようになり、すべてを他者にまかせてごく一部の仕事を自分はやることで社会に貢献・・・といわれても、そんな実感はないだろう。

やはり、貧しいというのは、この世のなかの大きな可能性を教えてくれるポテンシャルであると私は想う・・・。

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