政治の基礎とはなんだろう
政治というものは、なにかとわかり辛い。
そこに参加する権利も時代によってきわめて狭かったのはなぜだろうか。
つまり名君とうたわれた殿さまがたまたま領地を治めることになれば、それは一般的に幸せな人生を歩めるとかいうようなものではなかったのか。
そして悪名高き専制君主であれば、それは領民の苦しみがすぐに思い起こされそうな気がする。
そこの差はなにからくるのか。
手腕だろうか。それとも主君を支える人材のよしあしからであろうか。
それは、今の世でいうなら、きまりということになろうか。ちゃんと公開されて保障されている権利がなければ、そして政治の規則がなければ、きままなちゃらんぽらんな個人の意思で左右される世の中と庶民の生命でしかなくなる。
敵がいれば、そこで領民を護るというサムライの役割がある。領民はそこにとどまることでいのちをまもることになる。でも、そこで頼るものは、敵方なのかもしれない。
政治の基礎とは選挙制度という極めてシンプルなものだという。たしかに独裁者や専制君主を選ぶことはまれであろう。ただ、人気とりというものはいつの世もあるので注意が必要である。
そして、そういう選挙で選ばれた政治家が行う振る舞いと選挙民の権利が憲法で記されていることだという。明文化されていなければ、そこになんら保障はないからだ。
開かれた世の中は、いろいろな利害関係があるので、そこから出される意見や主張は多様なものとなる。だから、わたしたちは何を基準にして判断するかが、大事なことだと知る必要がある。
それは、たとえば自己の場合だろうか、それとも社会だろうか。我が国だろうか、地域社会だろうか。それとも我が国民だろうか、地域の仲間の人たちも含めたわれわれであり、仲間であるあなたたちも含めたおれたちなのではないか。
そこに基準をおくとすると、やはり考え方をしっかりと構築していく必要がある。日本は領土とか領海に関する国際的な協定では、いつも国内の利益優先で躓いている。そんな反省もときには大きな考慮のはじまりになるように思う。
憲法と選挙制度が、政治の要である。見直しが必要というのは、今のあり方がねじれ国会だったり、素直な意思をだせないところにもあるような押し付けられたいやいやな雰囲気があるように思う。
いつまでも、大国に振り回されるだけの政治ではだめだ。同じ結論でも視野をひろくして対処していかなければならない。
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