一杯並べられた踏み絵の数々
あいつは俺たちの仲間かどうか確かめる必要がある。
どうにも煮え切らないが、敵ではないのか。
疑心暗鬼が広がる。
踏み絵で確かめられると、どうにもあやふやになる。どっちもどっちだ・・・。
これでは、どうしようもない。
敵のレッテルを張られてしまう。仲間にそうされると、敵は敵だから、味方がいなくなる。
孤立する。追われる。追放だ。
悔しい。
だから仕返しする。あいつにおれの苦しみを味あわせてやるとすごむことになる。ただ、犯罪行為はだめだ。
だから、大衆心理に訴えるのだ。
TPPなんていい問題だ。
除染も震災復興で、いい類のものになる。判断は難しい。きっとぼろを出すはずだ。
慰安婦問題だって少し古いが、まだまだ失点の問題に作り上げることはできそうだ。
そして、究極はなんだって、領土問題だろう。それで三つの方向から責めていけば、そこで踏みはずすだろう・・・。
場合によっては、台湾や米国との領土問題だってぶり返しができそうだし、どんどん追い詰めていける。
靖国問題だって、これはもう恫喝なのだが、おどおどしている政権にとっては、難しい判断になる。それを、誤らせるのは簡単なことだ。いいと言って、そのあと取り消すなんていうトリックも使えそうだし、まあなんとでもできる。踏み絵を踏んでも踏まなくてもそこに見通しはないのだ・・・。
こんないっぱいの踏み絵を片づけていくには、じつは簡単なことでいいのだ。シンプルにシンプルにしていくことだ。
それは、日本国民のために政治を行う。そして、そのもとになるのは、政治家としての信念だと強く主張することであり、それを実践することなのだ。
あくまでシンプルにこの国の民のために政治を行うことだ。
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