プロ野球界
シーズン終了間際になると、監督の交替や退任が報じられる。
選手はもちろんのこと、プロ契約の今後があり、できるだけ有利な条件を希望するだろうし、引退とか退団もあるだろう。
戦力外通知という報道がときどきある。
プロだからこそであろうが、家族にとって身の切られる想いではないだろうか。そこに不安を上回る技術と努力があり、その背景がしっかりとしていることが、やはり良い選手の条件になるのだと、私は考えている。
みんな同じであろう。
たとえ、超優良大企業とか公務員であっても、そこに日常業務での緊張があり、それを凌ぐ緊張感とか、またはいろいろなことを補う能力がないと、振り落とされてしまうのだ。その意味ではみんな同じだ。
もうひとつ同じことは、健康体であることだろう。
からだが資本なのだ。プロ選手なら一番気を使うところだろうし、一般人でも病気になったらどんなに優良な企業組織に身を置いて、日常業務のこなし方が万全であろうとも、そこには大きな差はない。
この世の中は、この世に生きているからこそのものである。すべては命あってのものだねなのだ。
プロ野球界の監督の席というのは、最近とみに野球のテクニッシャン、監督としての技術者という立場になっているようだ。フロント陣と呼ばれる経営部門がすべてを取り仕切って、監督の首を挿げ替えている。
それはそうだと中日の落合監督はいっていた。そういう世界だと・・・。
プロ野球界は、ほかのスポーツに比べて危機感がどうにも薄いような気がする。サッカー界とどう伍して社会の健全化のために、貢献しえいけるのだろうか。
勝たねばなんにもならない・・・というのは、ほんとうだろうか。
なにか釈然としないものがあるプロ野球界ではないだろうか・・・。
« 有名人も普通のひと | トップページ | 最近のニュースで気になること »
「スポーツ」カテゴリの記事
- 弱者切り捨て・敗退濃厚(2022.11.21)
- 逆転はなぜ生まれるか(2019.02.11)
- J1(2019.02.07)
- 気合とは・・・(2019.02.04)
- 玉鷲関の優勝と貴景勝関の横綱への道のり(2019.01.28)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント