編集手帳
毎日新聞のコラムだ。
北原白秋のバラの木にバラの花咲く何事の不思議なけれという詩があった。
たしかに・・・。
ひとがひとをうみ育てることも、当然のことだし、ねこがねこをうみ育てるのもなんら不思議はない。
そして自然が自然を変えることにもなんら不思議はなさそうだ。でも、そこにひとの造ったものがあれば、それは人工だから、壊れることもある。
なにかそんな哀愁を感じた。
仕方がないのだろうか。
自然の恵みを得てこの自然の中で暮らしているひとの社会は、ときに自然の変わりように翻弄されてもそれは自然の一部だということだろうか。
でも、それであきらめてはいけないとも思うのだ。
生活の方法とか生きる方法とか暮らしをどうやって、自然に合わせていくのかを考える必要がある。
その代表的なものが都市構造ではないだろうか。
そこには、人工の自然があっても、ほんとうの自然はない。
だから、すべてが壊滅される。当然ではないか・・・・。
人工的な都市が自然災害で破壊される、そこに何の不思議があるのか。そんな不埒なことを想った。
田舎から出てくると都会はそのすべてが怖いものだった。コーラも苦くてあんなものを飲んで大丈夫かと思った。地下鉄はトンネルの中だ。いつつぶれるか恐怖だ。
そして、ひとも都会人は自然ではない。
食べ物を自分ではつくらないというのだ。そんなことで生活できるのか・・・と田舎人は想ったりした。
でも、バラの木にバラの花が咲くのはなんら不思議ではない。都会が自然災害で破壊されるのもなんら不思議ではない。
どんな考え方で都会でいきたらいいのか。
知恵と工夫でどこまで走れるだろうか。自然に都会のあの昔の自然を半分だけ返すことで手をうつなんていうことが最善ではないのか。
もっとも全部そうすることでもいいのかもしれない・・・。そこは生き方次第だろう。
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