侵略戦争の練習
攻撃は最大の防御だという。
それならば、日本国憲法で禁じられている戦争放棄という文言も、防衛であればいいのだろうか。攻撃するが、これは国家を国民を護るための作戦であるという理由が通用するだろうか。
北朝鮮は常に隣国を恫喝し恐喝し、侵略行為を繰り返しつつ、知らぬ存ぜぬを決め込んでいる。
そんな隣国は、北の侵略を防御するために訓練を行う。
それを侵略戦争だという。そのための練習だという。普通そういう指摘は出てこないし、そんな想定事態が恥ずかしいことである。でも、そういう発想がいつも国策としてあるのだから、そんな言葉国際的なニュース報道にのるのだろう。
ついにそこまで来てしまったのか。
独裁者は、おのれの権力欲を維持したままこの世を去りたいと願うのだろうか。権力を手放すことは、死を意味するともちろん理解しているのだろう。だから、延命して独裁権力を大衆に返すことをためらうのであり、先送りしようと試みるのだろう。
そこには物欲というものもあるだろう。蓄財をどの独裁者もやっているようだ。つまり逃亡を考えているということだ。でも、今の世界ではそんなことは通用しない。やはり理にかなった資産でないと、活用できないのだ。
侵略戦争と北朝鮮がいうなら、それは韓国との合同演習なんていうものを申し込んではどうなのか。お互いに学ぶ点が多いのではないか。
模擬練習で戦争というレベルなら、その軍事力の差を見せつけられて、そこでしっかりと考えることもできるのではないか。敵を知ることは重要である。
日本の敗戦は、敵のちからを甘くみてさらに見失ったことにあるようだ。
北のコメントはどこかお門違いだ。
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