相撲取りの骨格
相撲取りの身体は、うわべだと単なる太ったひとという感じに見えるらしい。
男性なのに胸は女性のおっぱいのようだと、ずいぶん昔は外国巡業などでへんな見方をされたらしいという記事をみたことがある。
なにごとにも誤解はある。
ただしく理解するには、やはり文化に対する理解、歴史もそうだし、いろいろな地域の特徴が加味されているということであろうか。
相撲という世界は身体と心を合わせた心身の鍛練に欠かせない運動要素をもっているという。
「しこをふむ」ことは、だれでも知っている。これは足腰の鍛錬であるとともに、足の裏にはなにも凶器を隠していないということもあるようだ。柏手をうつことも同様だろうか。
仕切り・・・もある。
阿吽の呼吸だ。合わないことも多い。でも、ほとんどはあう。
行司さん。これは第三者が判定するという公正を意味する。勝敗がきわどい場合には審判役がいてものいいをつける。
土俵・・・が舞台だ。そこにはいろいろなものが埋まっているという・・・。小さなころから、相撲取りになって、ようやくその意味がわかるのは、関取になってからだという。
横綱・・・はまるで神様のようなしめ縄をつけている。その綱をよこづなという。
神社神殿のようにひとを敬うということだろう。権威があるということだろう。
相撲取りは出身地へのつよいきずなをもっている。応援部隊というか、後援会があって土俵回し、化粧回しなどを贈呈するのだ。
それは郷土のほこりである。
そんな風潮が世界へと出身力士が増えることで、すこし薄れてはいるようだが、かなり伝播し普及しつつあるのではないか。
蒙古襲来。
元寇というが、相撲界はまさにモンゴル出身者のちからがみなぎっているようだ。たしかに似ている国民性があるようだ。チンギスハーン(フビライ)は、源の義経だという伝説もあるのがうなずけるようなモンゴルの優勢さだ。
モンゴル相撲という基礎があるから、たしかに強さが共通しているのだろう。
相撲をもういちどみなおそう。
心身を鍛練するというよりも、あの姿、稽古んい励むお相撲さんをみることで、日本人はそこに大きな元気を得ることができるようになっている。かなりハードなスポーツである。
素人相撲もすごい。心身をよく鍛えているのがようくわかるのだ。
そのプロが大相撲の世界なのだ。
どんなすごさかもうわかるだろう。
面白くないわけがないのも、わかるだろう・・・。
相撲取りの骨格はすごい・・・。強さと柔軟さがあって強靭というのはああいう心身をいうのだろう。
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