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TPP論議に想う

私たちは、何事にも動じる必要はない。

それが、もしも全体での論議を経て決まったことなら、動じることはないのだ。

TPPという市場拡大の路線への参加は、方向性としては間違いのないものであろう。

小規模で仲間はずれになるよりも、小さい規模で集まれば、それはある規模の効果を発揮できる。でも、仲間はずれでも、それは選択の仕方と考え方によるものであり、どっちでも結論としてはいいだろう。

どんどん世界は共通社会になっていくことも、まちがいのない方向である。

それは、我が国について言えば、少子高齢化であり、産業を継続して維持するには、後継者問題があり、数がすくなくなるので、同じ規模よりはより大きな規模で後を継いでいくことが求められよう。

でも、そこに農林漁業分野では、単なる規模の大型化では太刀打ちできないだろう。もっとそこに品質を向上させる手立てを持ち込む必要があるだろう。単なる経営の大型化では、品質が市場や消費者の要求に適合することは難しいのではないか。

たしかに低品質に慣れるということでマーケットは動くかもしれないが、それは伝統とか文化に関係したことがらでもある。

ということは、つまり技術開発と生産、市場販売、消費における分散と集中、そしてさらにそれらの統合が必要になる。

分散と集中を組み合わせて、最終的な品質と提供コスト、時間・時期などを総合的に解決していくことが大切になる。

そこにTPP論議の重要性がある・・・。

決して解決できないことではない。

過去と現在、未来を考えるとき、TPPとは将来のことを考慮して論議するひとつの重要なテーマなのだということを忘れているようだ。

自分たちの仕事がなくなる。売れなくなる。だって安いものがあれば、だれもがそこへいくということしか頭にないのだ。

まずいものや、からだに悪いものや、そういう情報の不明なものは、だれも価格では買わないことを忘れている。メンツだろうか。

天下りの理事長が、ひとつの産業のためにからだをはって護るというメンツを通すことしか考えられないのは、みんなわかっている。偉いひとなのだ。威厳があってお金持ちで、きっぷがよくて、睨まれると生活できない・・・・ということで、賛否におのれの意見や主張なんてないのだ。

それでは、自分たちの国益を保守しているようで、実は連帯すべき地域諸国のひとたちへの協力もできないようになるのではないだろうか。

決まったパイを分けるのは、多くとりたい。だから、賛否は多く取れる方法論で決めるしかなくなる。態度を保留することは、ひきょう者よばわりかもしれない。

でも、パイの大きさって、TPPではきまっているか。いやきまっちゃいない。日本が参加しないとそのパイはとっても小さなものでしかないだろう。でも、そこに日本が参加することによって、我が国はもとより、仲間の地域諸国もその増えるだろう分け前にあずかれるのだ。

ということは、日本は地域諸国にパイを大きくすることで、つまり参加することで貢献できるし、もちろんその分け前の大部分は自分たちに自動的に入ってくるのだ。

それは、被害者から加害者になるかもしれないのだが、そこは共同した仲間という関係になるようにしなければ意味がない。いつまでも敵対関係だけでは、論議は進まないだろう。

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